CRISIS CORE 〜FINAL FANTASY7〜

   

【It is too far even if I hold out a hand】

 

 

 少々慌てた足取りで兵舎から一歩出た途端、ザックスは羽織っているブルゾンの襟元を思わずかき寄せ、身体を震わせた。

 寒いのは、昔から苦手なのだ。

 ザックスの生まれ故郷であるゴンガガは一年を通してかなり気温が高い地域にあり、冬の時期でもさほど寒くはならず、そこで暮らしている頃は『雪』というものは単なる言葉上の知識でしかなかった。
 それなのに、ここ、ミッドガルは冬の時期になるとごく当たり前に『雪』が降りしきり、場合によっては凍死者が出てしまうくらい厳しく冷え込む日もあるのだ。
 ソルジャーに、英雄に憧れてミッドガルにやってきたまでは良かったのだが、最初に迎えた秋、冬の時期、そのあまりの寒さにザックスは正直死ぬほど後悔したものである。

 冬が本格的に訪れようとしているこの時期。
  それなりの防寒対策はしているつもりなのだが、それでも寒さが身に凍みる。
 長身の男が身体を縮こまらせて歩く姿はどこか滑稽に映ったが、体温保持が最優先の今、ザックスにはそれを気にしている余裕はなかった。
 いつもより少しのんびり起床しても約束の時間には十分間に合うはずだったのだが、予想以上の冷え込みにベットから出るに出られず、結果としてぐずぐず時間を浪費してしまっていた。その当然の結果として、待ち合わせまで時間がもうあまり残されていなかった。

 昨日トレーニングルームでの訓練が終了すると同時に担当教官であるソルジャー・クラス1stのアンジールに暇ならばつきあえと誘われたのだ。
久方ぶりに貰った休暇は唐突すぎて仲の良い同僚たちと予定があわず、どうしようか悩んでいたところへの一言だった。特に苦手な相手でもなし、特に断る理由もなく、ザックスは偶にはこんなのもいいかと気軽に約束を交わしたのである。

 頬を撫でる風が無性に冷たい。
 寒さが背筋を駆け抜けて身体が震えてしまう。

 こんなことなら約束を今日という日にするのではなかったかもと少しだけ後悔しながら、約束の時間まであとほんの少ししかないと急ぎ足で道を進むザックスだった。

 

 

 待ち合わせ場所にたどり着いた瞬間、ザックスはその場に凍りついてしまった。ザックスの到着に気がつき、にこやかに大きく手を振ってみせるアンジールには悪いとは思ったが、それでも一瞬、他人のフリをしたいと思ってしまった。
 今回の約束を交わすとき特に詳しく話をした訳ではなかったのだが、ザックスは勝手にアンジールとのみ一緒なのだと思いこんでしまっていたのだ。アンジールと自由気儘に時間をつぶす約束をしたのだと思っていたのだ。
 自分の早合点が招いた事態とはいえ、頭を抱え込んでその場に座り込みたいくらい衝撃的な光景がそこにはあった。
 何時まで経っても近づいてこようとしない後輩にしびれをきらしたのか、アンジールがザックスの方へ歩み寄ってくる。
 それをやや斜に構えた笑みを浮かべて見守る人物がいた。
 そう、アンジールは連れと一緒に待ち合わせの場所に佇んでいたのだ。
 その人物の姿をその場に認めた瞬間、ザックスはらしくもなく逃げたい衝動に駆られたと、そういう訳なのである。
 ザックスの心情など知るよしもないアンジールはいつもと変わらぬ穏やかな笑みをたたえ、
「遅かったな」
朗らかに告げる。しかしザックスの視線はそんなアンジールを通り越して更にその先、問題の人物へと注がれたままだった。
 明らかに視線の合わない後輩を怪訝に思ったアンジールの眉が、片方引きあがる。そしてしばらく思案顔になったが、すぐにその原因に思い至ったらしく破顔一笑した。
「あれは、気にしなくて良いぞ」
偶然この場所で出会っただけだから安心して良いぞと言い切る。しかしその言葉に素直に頷けないザックスだった。
 問題の人物が、笑みを浮かべたまま二人の方に近づいてくるのだ。しかもその視線はぴったりザックスに向けられている。
 蛇に睨まれた蛙よろしく、ザックスは背筋を伝い落ちる冷たい汗を感じていた。
 問題の人物はアンジールの傍らまで歩み寄るとその場で足を止め、それ以上ザックスに近寄ろうとはしなかった。しかしザックスは、身体の中までも見透かされてしまいそうな冷徹な眼差しに、呼吸すらままならなくなっていた。

 雰囲気が違うのだ。
 存在感が違うのだ。

 その場にただ存在しているだけで圧倒される何かを、その人物は醸し出している。
 この感覚はあの人に、英雄セフィロス似ている、そう思うザックスだった。

 「おいおい、手加減してやってくれよ、ジェネシス。相手はまだ『子供』だぞ」
苦笑と共にアンジールは傍らの人物にそう声をかける。
 全身にのし掛かる圧力がふっと緩んだことを知り、ザックスは思わずため息をつく。額にはじっとり汗が滲んでいた。強いられた緊張感はかなり凄く、アンジールの漏らした『子供』発言に気づかないザックスだった。
「これが、例の『子犬』か?」
幸いにもジェネシスの呟きの声は小さく、ザックスの耳には届かなかった。しかしすぐ傍らに立っているアンジールの耳に入るには十分な大きさを持っており、それを耳にしたアンジールはジェネシスの真意を理解した。
 ジェネシスは単に、ザックスの顔を見に来ただけなのだ。アンジールが最近ついうっかり言葉の端々に上らせてしまう『子犬のザックス』なる人物を観賞しに来たと、そう言う訳なのである。
 好奇心が満たされてしまえば、ジェネシスがここにいる意味はなくなる。
「じゃあ、俺は行く」
意味ありげな笑みを薄く浮かべたジェネシスはそう告げると、颯爽とその場から立ち去ってしまった。
「・・・・・・。あの人、一体何しにきたんだ?」
全身から力が抜けていくのを感じながら、ザックスは思わず呟いていた。
「さあ?あいつは昔からあんな感じだからな」
そんなザックスの言に、アンジールはそう言いながら軽く肩を竦めて見せた。
「昔から?」
アンジールの何気ない一言にひっかりを覚え無意識にオウム返しに呟いたザックスだったが、アンジールはただ苦笑を浮かべるのみだった。
 何となく気まずさを覚えたザックスはアンジールから視線を外し、空を振り仰いだ。

 空はいつの間にかどんよりと重く垂れ込め、見上げるザックスの頬目がけて冷たいそれが舞い落ちてきた。

 天空の高処より落ちてくる白い結晶。
 アンジールは微かに微笑むと、その一つを手のひらで受け止めた。
「初雪・・・だな」
人の体温に触れた結晶はあっけなく溶け、手のひらには微かな水滴が残されるのみだった。
「やっべぇ〜、雪だ。雪が降ってきちまった」
寒さを大の苦手とするザックスは、アンジールが抱いた感慨などものともせず、視覚的効果がもたらした寒気に全身を震わせる。
 どこか滑稽な様子のザックスを目の端に捉えつつ、アンジールは何かに誘われるように天空を見上げる。
 白い結晶が後から後から舞い落ちてきていた。どうやらこれから本格的に雪が降り始めるような様子だった。
「どうりで・・・。今日は朝から冷え込んでいた訳だ」
音もなく雪が舞い落ちてくる光景にしばし見とれながら、アンジールは無意識にそんな言葉を口にしていた。それに敏感に反応したザックスは、
「うぇ〜。さみぃ、寒いです、俺」
さらに襟元をかき合わせ、今にもその場で回れ右をしてかけだしていきそうだ。だがしかしここで勝手に帰ってしまう訳にもいかず、少しでも身体を温めようとその場でばたばた足踏みを始める。
 後輩の、本当に寒さが苦手だと思わせるそんな様子に、ようやく雪から意識を引き戻したアンジールは微かに苦笑する。
「その様子だと、雪見酒・・・という訳にもいかないようだな。・・・・・・。さて、どうするか」
声音にほんの少し意地悪げな響きを含ませつつ思案げにそう呟いてみれば、
「酒?酒ですか?飲ませてくれるんなら、俺、寒くても頑張る」
酒に滅法弱い後輩は声の調子を一段跳ね上げ、満面の笑みを浮かべた。
「ははっ、現金なやつだな、お前は・・・」
ご褒美を貰えるのが判って勢いよく尻尾を振ってみせる子犬のような反応にアンジールも破願し、思わずその頭を撫でてしまった。

 

 それから二人は温かい室内から窓外の雪を見つつ、明け方近くまで酒を酌み交わしたのだった。

 

 翌朝、二日酔いに悩まされたザックスが力加減を誤り、ついうっかりトレーニングルームの備品の一部を破損したことはアンジール一人の胸の内にしまい込まれることとなった。

 

 

 ふと、意識が昔へと引き戻されていたことを知ったザックスの口元が、苦笑いに歪む。

 何時の頃からだろう、あんなに苦手だった寒さが気にならなくなったのは・・・。
 何時の頃からだろう、他愛ない会話に自然に笑えなくなったのは・・・。

 あの頃に戻りたいと、何も知らなかった頃に帰りたいと、心が軋む。

 アンジール。
 ジェネシス。
 そして、セフィロス。

 彼らがクラス1stとして並び立っていた頃が、とても懐かしかった。
 何も知らずに彼らに憧れて努力していた自分が、とても懐かしかった。
 
  しかしそれはもう戻らぬ過去。
 すでに過ぎ去ってしまった時間。

 ザックスはきりっと唇を噛みしめる。
 回帰したがる己の心の弱さを叱咤する。
 何度も何度も、唇が傷ついてしまうまでそれを繰り返す。
 血の赤いしたたりが、とうとう切れてしまった唇からつうっと流れ落ちていくが、ザックスはそれに気づかない。
 それを見咎めたのだろうか。
 ザックスは、心配そうに自分を見つめる、蒼い瞳と視線があった。
 一瞬、正気に戻ったのかと期待して見つめ返すが、すぐに視線が外れていってしまった。
「・・・クラウド」
思わず名前を呟いたが、正気からはほど遠い場所にいる相手に届くことはない。
 深い、深いため息がザックスの唇から漏れる。
 苦悩に満ちた顔つきのまま、ザックスはしばし瞑目した。そして大きく伸びを一つ、胸一杯に新鮮な空気を吸い込むとその顔から憂いを消し去った。

 くよくよしても何も始まらない。
 そうだろう?アンジール。

 バスターソードと共に託された思いを胸に、ザックスは遥か彼方の地を見据えた。

 クラウドの、言葉にならない呻き声に、はっと我に返る。
 今日は何だか昔のことをよく思い出してしまうと思いながら、ザックスは傍らに立てかけておいたバスターソードに手を伸ばす。そして必要最低限の装備がきちんと揃っているかどうか確認し終えた後、赤ん坊同然のクラウドを背中に背負い、身を隠していた場所から出て行く。

 ふと、頬に太陽の日差しを感じ、反射的に空を見上げるザックスだった。

 木々の切れ間から見上げた空は見事なまでに晴れ渡り、雲の気配すら微塵もない。

 眩しい限りの青空をどこか物問いたげな顔つきでしばし見つめた後、ザックスはゆっくり息を吐いた。そして燦々と降り注ぐ日差しのなか、もう一度クラウドの身体を抱え直すと、陽の光から逃れるようにさらに森の奥へと足を踏み入れていくのだった。

 目的地まであと少し。

 ザックスの旅はまだ終わらない。

 

END

 

 

 

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